「抑揚を持たない宇都宮誠弥と、彼のモラトリアムな年」(第1回)藤原達郎

2017.08.02

※フィクションです。

宇都宮誠弥はカップ麺をすすっていた。お昼は大体、カップ麺だった。ここ半年くらいずっとそうだった。自炊を一切しないので、毎月の食費がとんでもないことになっており、平日の昼飯は節約しようと決めたのだった。最近腹の調子がずっと悪く、ひょっとしたらカップ麺のせいかもしれないなと思っていた。そしてもう完全に飽きていた。

印刷会社の製版部門に配属されて5年が経つ。データで作成された絵柄を、印刷機にかけるためにアルミのような板に焼き付けるのだが、その変換を行う部署だった。仕事には慣れた。コンピュータを操作すると、全長10メートルくらいの機械が、ごうんごうんとうなって動き出し、アルミ板がレーザーで焼かれたり特殊な液で洗われたりしながら、ベルトコンベアの上をすべっていく。最後尾にパトランプのようなものが付いていて、アルミ板が到着するとビーッ、ビーッと大音量で鳴って光る。それを合図に10メートル歩いて取りに行き、棚に並べる。その繰り返しだった。ルーティンワークである。一日中、コンピュータとパトランプの間を往復している。人間相手の仕事と違い、コンピュータは命令すれば忠実に作業をこなす。リターンキーを押せば改行する。肩凝りと腰痛は慢性化したが、宇都宮にとって過ごしやすい職場だった。「おはようございます」「おつかれさまでした」以外、一言も発さない日もあった。

昼飯は朝の通勤時に途中のコンビニで買っていた。飽きたのなら違うものを食えばいいのだが、一度決めたことを変えるのが下手で、融通が効かないのだった。朝コンビニに入り、売り場をうろつきながら昼飯を何にしようか考え、安価で腹にたまるものを選んでいるうちにめんどうになり、めんどうになった結果のカップ麺なのだった。

昼休みは一人デスクで過ごしながらヤフーのニュースを閲覧した。カップ麺をすすりながらコンピュータの画面を無表情でながめた。無表情のまま昨夜見たエロい動画のことをあれこれ思い出したりした。宇都宮はエロかった。他人と比べたことはないが、エロいかエロくないかと言われればエロかった。エロいサイトは履歴が残るので見なかった。飽きたら机に突っ伏して寝た。それはそれで快適だった。昼休みだけが日中の楽しみだった。不満もなくはないが、まあこんなものだろうと思っていた。

「タスポ、持ってない?」

太田カツキが話しかけてきた。宇都宮のカップ麺から小さいカマボコがテーブルに落ちた。宇都宮は箸の扱いが下手だった。かと言って練習する気もなかった。なんで母親は、自分が子どもの頃にちゃんと教え込んでくれなかったんだろう。宇都宮は他人のせいにするのが上手かった。落ちたカマボコを指でつまんでゴミ箱に捨て、ティッシュで机の上を拭いた。

太田は工場で印刷機をまわしている。作業着の膝の所がインキで汚れていた。同期ということもあり、太田は宇都宮に何かとちょっかいをかけた。酒に酔うとバカみたいに陽気になり、会社の忘年会で宇都宮の肩に手を回し、へらへら笑いながらゲロを吐いたことがあった。宇都宮は太田を無視して麺をすすった。

「貸して、タスポ」太田がまた言った。宇都宮のカップ麺からブロック状の肉がころんと落ちた。落ちた肉をティッシュでつまんでゴミ箱に捨てた。

あのブロック状の肉に関しては飽きる飽きない以前に、うまいと思ったことが一度もなかった。生産者の顔を想像した。決められた原価の中で、どうにかこうにか具材を詰め込んだんだろう。あの肉を見るたび、宇都宮の頭には「企業努力」の四文字が浮かんだ。

「なあ、タスポ」太田がすごんだ。太田を無視してブロック肉のことを考えていた。太田は金髪だし強面なので、パッと見チンピラのように見えるのだが、見えるだけの小心者だった。そしてそんな太田ことを知っている宇都宮には、日清食品の努力の片鱗すら見えないアホ面に見えた。

「タスポ、貸して」太田が同じフレーズを繰り返した。語彙が少ない。

「…ないの、タスポ?」ヤフーニュースを見ながら宇都宮は言った。人気俳優の不倫の続報が出ていた。

「ないよ、タスポ」
「あれ、貸し借りするもんじゃないから」人気俳優はかつての人気女優と結婚し、子が生まれ、人気モデルと不倫していた。
「すぐ返すから」
「コンビニ行けよ」
「ヤだよ、雨降ってるし」
「え、雨降ってんの?」宇都宮は窓の方を見た。休憩中の室内は蛍光灯が消え、薄暗かった。窓は磨りガラスになっており、閉まっていて外は見えないが、室内より明るかった。セミの声が聞こえた。
「まあ、知らないけど」 太田がにやにやした。面白くもなんともなかった。にやつくと、右の頬にあるホクロがぐにゃと曲がった。
「行けよ、コンビニ」
「頼むよ、タスポ」太田はしつこかった。太田にはそういう所があった。「そういう所だぞ」と宇都宮は思った。太田のそういう所だった。
「貸して、タスポ」
「じゃあ、クレジットカード貸して」
「え?」
「クレジットカード」宇都宮はお金に困っているわけではなかった。
「持ってないよ、クレジットカード」
「クレジットカードは持ってるだろ」
「持ってないよ」
「困るだろう、給料の振込とか」
「現金払いなんだよ、俺」
「クレジットカード貸してくれたら、タスポ貸すよ」
「カード作れないんだよ、俺」
「…え?」
「うん…」太田が心なしかしょんぼりした。太田のしょんぼりした顔には小動物に似た愛嬌があった。
「お前、カード…なんで?」
「ん、まあ、それはさ、察せよ」
「…え、なんか、ごめん」宇都宮は財布からタスポを取り出した。
「…定食屋のポイントカードならあるけど」太田が財布からポイントカードを出した。
「いや、いい、いい」宇都宮はタスポを太田に差し出した。
「…うん、まあ、返すから、あとで」太田はタスポを受け取り、タバコの自動販売機を目指して去って行った。太田の作業着は膝の裏もインキで汚れていた。

宇都宮は財布をしまい、カップ麺をすすった。太田に貸したものは大抵返ってこなかった。タスポはあきらめた。麺が汁を吸ってのび始めていた。

宇都宮は自分のこと以外に大して興味がなかった。太田の事情にも興味はなかった。カードが作れないというのも疑わしいが、どうでもよかった。興味のない事柄に関心を持たなくてはならないこと自体が苦痛だった。タスポと引き換えに太田から距離をとった。

ヤフーのニュースが、不倫俳優が出演予定の映画から降板したことを報じていた。まあ、大して興味はなかった。「自業自得」の四文字が頭に浮かんだ。

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