「抑揚を持たない宇都宮誠弥と、彼のモラトリアムな年」(第2回)藤原達郎

2017.08.08

暑くて目が覚めた。エアコンの効きが悪い。昨夜ハムスターの世話をして、居間でテレビを見ながら風呂にも入らず寝ていた。身体が痛い。テレビではパンケーキのお店を女性タレントが紹介していた。イケメンの店員がインタビューを受けていた。「やっぱり、女性のお客さんに喜んでいただけるものを提供したいですよね」宇都宮はテレビを消した。ハムスターは小屋に入ったままで、おそらく寝ている。ハムスターは暑さに弱いらしい。インターネットで調べた。ケージは日陰に設置しているが、普通に考えて、気温30度近い所で毛皮着て過ごしてるようなものだから暑かろう。フィルターの掃除をしないとなあと思いながら服を脱いだ。シャワーを浴びたかった。

のどがかわいたので素っ裸のまま冷蔵庫をあけた。ポン酢しか入っていない。冷蔵庫をしめ、蛇口から水を飲んだ。流しの小窓からコーポのとなりの棟が見えた。同じく小窓が付いており、室内の様子が見えた。ということは向こうからもこちらが見えるわけで、素っ裸でこいつ何やってんだろうと思われても仕方がなかった。シャワーを浴びてからコンビニに行こうと思った。

 

ドアにカギをかけてコーポの階段を降りた。エアコンの効かない室内より外の方がまだ涼しい。雲が多くて全体的に灰色がかっており、日差しはないが蒸し暑かった。

コーポの前には誰も住んでいない朽ちた一軒家があった。雑草が伸び放題に伸び、庭を囲っている石塀よりも背が高くなっていた。四方すべてが草で覆われていて、家の側面は植えられていた木と雑草が混ざり、歩道にはみ出ていた。枝に虫取りアミの柄の部分だけが引っかかっていた。

はみ出た雑草をかわして細い道を抜けると、近所の子どもが人差し指をくるくる回しながらゆっくりと歩いていた。視線の先では、アゲハチョウが不規則に舞っている。それはトンボの捕まえ方じゃないかと思ったが、宇都宮は口に出さなかった。子どもがすばやく手を伸ばすと、アゲハチョウはひょいと身をかわし、高く上っていった。「あー」と子どもは言い、ちらりと宇都宮の方を見た。宇都宮は表情を変えなかった。さっきの虫取りアミはこの子のじゃないかと思ったが、柄だけ返されても困るだろうし、放っておいた。

大量のタクシーが駐車された、配車センターの裏側に出た。雨よけ用の錆びた波板に、赤い傘が一本引っ掛けてある。「タクシーのナンバープレートのひらがなって、『あ』ばっかりなんよ」と、子どもの頃に誰かが言っていたのを思い出した。見てみたが、「い」もあった。誰だっけ、そんな適当なこと言うやつ。

配車室の前で、運転手のおっさんが二人、暇そうに談笑していた。ハゲ頭のおっさんは立っていて、帽子をかぶったおっさんは運転席のドアをあけたまま座っていた。

「痔ってさ、労災認定されるのかな」
「いやあ、無理だろう」

ハゲ頭のおっさんが尻の辺りをもんだ。カーステレオからざらざらしたラジオの音が聞こえて、昼の気怠さが増したように感じた。脇を通り過ぎる時、おっさん達がこっちを見ているのがわかった。乗りませんよ、と宇都宮は思った。何度も通っているけれど、声をかけられたことは一度もない。

「ハゲは?」
「何が?」
「だから、労災」
「おりないよ」

風が吹き抜け、「交通安全運動実施中」と書かれた蛍光色のノボリがばたばたした。ノボリの足元にはなぜかオフィス用のコロ付きイスがあり、横倒しになっていた。

配車センターは国道に面しており、オモテ側に出て信号を待った。道路脇の私有地に店舗用のプレハブが建っていた。シャッターは閉まっていて、材木やアイスの冷凍庫、コンクリートブロックの小さな山、使っていない看板などが乱雑に置かれている。牽引用の台車に載せたクルーザーもなぜか放置されていた。その隣ではマッサージのチェーン店が新たにオープンし、お祝いの花輪がにぎやかだった。

信号が青になり国道を渡ると、個人経営のオートバイ専門店があり、「レース出場のため、本日休業」という手書きの札がかかっていた。土日は大体閉まっている。そんなことで商売になるのかとこっちが心配になる。そのとなりの焼き鳥屋は開店準備中で、エアコンの室外機からタレの香ばしい匂いがした。

広く駐車場をとった携帯電話のショップがあり、ネクタイ姿の上にハッピを羽織った若者と、看板を持ったライオンの着ぐるみが、走る車に値段の安さをアピールしていた。若者は汗だくだった。ライオンの中の人はもっと汗だくだろうと思った。あの宣伝でどれほどの効果が上がるというのか。労力に見合わないんじゃないか。店内はがらがらだった。少なくとも、自分はここで買おうとは思わない。ていうかキャリアもちがうし。ショップの手前を右折した。

ゆるく坂になった道をすすむと、鎖につながれた中型犬に吠えられた。宇都宮は車通りの少ない道を選ぶため、コンビニへ行く時はいつもここを通り、いつも吠えられた。突き当たりが少し大きめの公園だった。すべり台、ジャングルジム、砂場、鉄棒、動物の背中に乗るシーソー、ベンチなどが設置され、奥にはネットで囲まれたグラウンドもあった。大きな木が日陰を作っていたが、遊具の大半は太陽光で熱せられ、誰も遊んでいなかった。セミだけが元気だった。自転車をふらふらと漕ぐ半袖半ズボンのじいさんとすれ違った。じいさんも中型犬に吠えられた。

公園には入らず左折した。青地に白い矢印の道路標識が右を向いていた。国道の騒音は気にならなくなった。一方通行の道路には白線が引かれ、歩道は緑色に塗り分けられていた。どこまで続いているのか、見えなくなるまでずっと緑色だった。歩道の隅に腰くらいの高さの石柱が立ち、「奉」と彫られていた。何を奉っているのかわからなかった。

塗り分けられた歩道をひたすら歩いた。汗でTシャツが肌に貼りついた。道路の両脇に古い一軒家が並び、それぞれの家の庭木と石塀が個性を主張していた。宇都宮の前方数メートルの所を、黒い日傘をさし、黒いワンピースを着た黒髪の女性が歩いていた。靴だけが蛍光ピンクのラインが入ったスニーカーで不似合いだった。たぶんおばちゃんだろう。なんとなくおばちゃんぽい。この速度で歩くと追い抜いてしまう。宇都宮は歩くのが早かった。万が一若くてきれいな子だったら並んだ時に目があってなんか運命を感じて俺に一目惚れしてくれないかな。でもやっぱおばちゃんだろう。追い抜いた。チラ見した。おばちゃんだった。目すら合わなかった。

ぴしゃ、ぴしゃと液体が地面を打つ音がしたので頭上を見ると、電線にカラスが5、6羽とまって糞を落としていた。宇都宮は歩道から車道へ逃げた。さいわい、車通りはほとんどなかった。宇都宮が気づいたとたんに、カラスたちもぎゃーぎゃー鳴き出した。糞を人の頭に落とそうとわざと静かにしていたような気がして、たちが悪いと思った。後方の黒いおばちゃんが「いやっ」と低い声で悲鳴をあげ、同じく車道側へ逃げた。

ポケットに入れたスマートフォンが振動した。父親からの着信だった。

このエントリーをはてなブックマークに追加
Pocket

ページ: 1 2 3 4 5