「抑揚を持たない宇都宮誠弥と、彼のモラトリアムな年」(第2回)藤原達郎

2017.08.08

「カニを食いに行くんやけど」父の電話はあいさつ抜きで要件から入る。
「…え?」
「だけ、カニよ」
「うん」
「隆広がよ、さっちゃん連れてくるって言うけ、カニ食いに行くけ」
「へえ」
「へえじゃねえわ。お前も行くんよ」
「あ、そうなの?」

隆広というのは宇都宮の弟で、先月さっちゃんという彼女と婚約した。大学の頃から付き合っていて、隆広の就職が決まってすぐ、結婚の話が持ち上がった。話は両親から聞いて知っていたが、宇都宮はさっちゃんに会ったことはない。

「カニでええかな。ええか、カニで」
「うん、まあ、いいんじゃないかな、カニで」
「ええな、カニで。うまいけな、カニは」

父はナマモノが苦手だった。子どもの頃にウニにあたって以来食ってないらしい。果物もあまり食べない。カニ屋に行けばカニ刺しやなんかも出るだろうと思ったが、まあ、そこは黙っておいた。さっちゃんに気を使っているのだ。父はさっちゃんのことを、かわいい、隆広にはもったいない、ともてはやす。男兄弟だけの環境で育ったので、 父が女性に褒め言葉を使うのをこの歳まで聞いたことがなく、 新鮮だった。「夕方、迎えに行くけの」と一方的に電話を切られた。

しばらくして大きな池にぶつかった。塗り分けられた歩道はいつの間にかなくなっていた。子どもが池に入るのを防ぐため、周りをフェンスで囲い、上部には有刺鉄線を張り巡らせていた。フェンス沿いに子どもサイズの自転車が2台停まっていた。片方の自転車のカゴに、空のペットボトルが転がっている。のどがかわいた。

フェンスに神社の駐車場を指し示す看板がついていた。近くに神社がある。池沿いにまっすぐ行くとまた別の看板があり、「薬神・足腰リハビリの守護神…」などと書かれていて、リハビリの神様がいるのだなと思った。「リハビリ」と「神」がうまく結びつかなかった。

ほどなく神社の入り口に着いた。石柱の左右に狛犬が座っていた。左の狛犬は口を閉じ、右はあけて牙をむいていた。真ん中にでかい鳥居があり、その上空を電線が走る。電線を目で追うと近くに門型の鉄塔が立っており、それもまた、ばかでかい鳥居のように見えた。

神社を横目に国道側へ左折すると、ようやくコンビニに着いた。徒歩で15分かかる。宇都宮は再度、自転車の購入を検討した。

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