「抑揚を持たない宇都宮誠弥と、彼のモラトリアムな年」(第3回)藤原達郎

2017.08.18

前回

夕方、父親の運転する車が迎えに来た。宇都宮は車に興味がないので、なんという名前の車なのか知らない。ごく一般的な白い乗用車だ。実家から宇都宮の住んでいる家まで、車で30分ほどで行き来できる。助手席に母親が座り、後部座席に隆広とさっちゃんが座っていた。宇都宮は隆広のとなりに座った。隆広が「おう」と言うので、宇都宮も「おう」と返した。1年ぶりくらいに会うのでなんだか照れくさかった。「あ、初めまして、幸恵です」とさっちゃんがおどおどとあいさつをした。「どうも、兄の誠弥です」と言うと、「あ、じゃあ、お義兄さんですね」と返された。さっちゃんはおどおどしながら笑うので、なんだか不気味な顔になっていた。「おいおい、イチャイチャしてたら隆広に怒られんぞ」と父が茶化した。父のテンションが高い。さっちゃんの笑顔は張り付いて固まっていた。母は鼻で笑った。隆広は無表情で外を見ていた。

父の運転は荒い。本人におそらく自覚はない。無事故・無違反でこの歳まで来ているので、うまいと言えばうまいのだろうが、ブレーキが急で、赤信号のたびに同乗者はがくんとなる。子どもの頃、車で10分ほどの所にマクドナルドができ、父にねだって連れて行ってもらったが10分の間に酔ってしまい、ハンバーガーが全然食えなくて激怒された。もうちょっとスッと止まってほしい。

還暦を過ぎても運転の荒さは健在で、同乗者4人は車が止まるたびにがくんとなった。母なんかは慣れたもので、「危ないわよ、あの車」などと前を走る軽トラに文句を言っている。さっちゃんの笑顔は消えていた。酔っていなければいいがと心配になった。

都市高速に乗り、びゅんびゅん飛ばして、二つ目か三つ目のインターで降りた。夕方のラッシュなのか、都市高を降りた途端に混み出した。トロトロとしか進まなくなり、「あぁクソっ」と父が毒づいた。側道沿いにカニの形の看板がゆっくり回っているのが見え、筆文字で「蟹三昧」と書かれている。「あの店?」と宇都宮が聞くと、「不満か?」と父に言われ、「行ったことないから知らないよ」と黙った。

店内に入ると、受付は混んでいて、待合い席は他の客で埋まっていた。でかい水槽が置いてあり、中にカニがいた。爪を振って「いらっしゃい」などと愛想を振りまくわけはなく、ただ水の底でじっとしていた。和風にアレンジされた星野源の「恋」が流れていた。

父が「予約した宇都宮です」と受付の仲居さんに言うと、名簿を見ながら「承っております。こちらで少々お待ちください」と満席の待合席を指された。「いや、待ちたくないから予約したんだけど」と父が言うと、「申し訳ございません。ただいま大変混み合っておりまして。準備ができ次第、すぐにご案内しますので…」と仲居さんは平謝りに謝った。「それじゃ、なんのための予約かわかんないだろう」と父は食い下がった。こういう時、父は譲らない。宇都宮も隆広も、子どもの頃から見慣れた光景だった。ケンカに発展しない限り、母も止めることはない。父に責められ続けた仲居さんは「ちょっと、確認して参りますので…」と奥の方へと逃げた。さっちゃんは水槽の前で、カニをじっと見ていた。カニもじっとしていた。さっちゃんもカニも微動だにしなかった。

待合席には家族連れが三組座っていて、受付によっかかってイライラする父を無表情でながめていた。宇都宮と隆広と母は、座れずにぼんやりと立っていた。「…親父、変わらないな」と宇都宮が言うと、「そうなんだよ、みっともない」と隆広が言った。

「あんた、もうちょっとうちに寄りなさいよ」母が宇都宮に言った。
「それなりに帰ってるだろ」年に2、3回だった。
「あんたよりさっちゃんの方がうちに馴染んでるわよ」
「そんなに来てんの、うち?」
「しょっちゅう来るわよ。ねえ?」母が隆広に言った。隆広は肯定も否定もせず、じゅうたんをつま先で蹴っていた。
「…なんか居心地悪そうだけど」宇都宮はさっちゃんを見た。
「ああいう子なのよ」
そんなことないだろうと宇都宮は思った。「…そう言えば、タクシーのナンバープレートの平仮名が『あ』ばっかりだって教えてくれたの、誰だっけ?」
「何、それ?」
「子どもの頃、誰かに教えてもらったんだよ。誰だっけ?」
「覚えてないわよ、そんなの、ねえ?」母が隆広に同意を求めた。隆広も覚えてない、と言った。
「今朝『い』のタクシーも見たんだよ」
「じゃあ、親父だろ、そんな適当なこと言うの」
「…親父だったかなあ」
「昔は『あ』だけだったんじゃない?あぁお腹すいた」母が言った。母も隆広も、タクシーのナンバープレートのことなんかどうでもよさそうだった。

カニを見ながらさっちゃんが水槽をこつこつ叩いていた。カニは相変わらず無愛想で、水槽の底でじっとしていた。BGMが和風にアレンジされた西野カナの「ダーリン」に変わった。

数分後、さっきとは別の仲居さんがやって来て、「大変お待たせしました」とにこやかに言った。階段で建物の二階に上がり、靴を脱ぎ、上り口をふすまで仕切った個室に案内された。個室の窓からは玉砂利を敷き詰めた中庭が見渡せた。ししおどしや灯籠も設置されていて、さっちゃんが「…高そう」と言った。父は「建物の二階にわざわざ庭作んなくてもなあ」とまた当たり散らした。風情もクソもなかった。

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