「抑揚を持たない宇都宮誠弥と、彼のモラトリアムな年」(第4回)藤原達郎

2017.08.23

マサミ姉ちゃんと会えることになり、宇都宮のテンションは上がっていた。すぐに新幹線の改札を出た。15000円の切符がパスタを食べただけで消えた。

それから宇都宮はシャツを買いに行った。ミートソースのついたシャツでマサミ姉ちゃんに会いたくなかったからだ。駅ビルに入り、最初に目についたオシャレそうな紳士服の店で白いシャツを手に取った。値札を見ると7800円だった。宇都宮は普段、スーツの白シャツに絶対そんなお金をかけなかったが、テンションが上がっていたのと他に店を探すのがめんどうだったのとで、そのままレジに持って行った。「すぐに着ます」と言い、包装をといてもらって試着室で着替えた。ネクタイを締めるのは相変わらず下手くそだったので、真っ白のシャツが台無しだった。

新大阪から再び御堂筋線に乗り、本町を通り過ぎ、天王寺まで出た。宇都宮が「あべのハルカスに行きたい」と言ったので、駅前でマサミ姉ちゃんと待ち合わせることになったのだ。ミートソースのついたシャツは駅のゴミ箱に捨てた。着替えや書類などを入れた肩かけカバンは重かったが、仕事ができる男に見えるかもしれないと思い、そのまま持っていくことにした。

あべのハルカスは2017年現在、日本で三番目に高い建物だ。一番はスカイツリーで、二番は東京タワーだ。宇都宮は足場の安定した高い所が好きだった。展望台に登りたかったのだ。安定していないと苦手で、脚立の一番上にも立てなかった。

マサミ姉ちゃんはタイ古式マッサージのお店でセラピストをしており、宇都宮がパスタを食べていた時間にちょうど勤務が終わったようだった。脇内にくっついてキャバクラに行かなくて本当によかった。スーツ姿で会うのはなんだか誇らしかったが、よく考えたら去年の結婚式にも同じスーツで出席していた。

天王寺の駅前は帰宅のラッシュ時ということもあり、小倉よりはるかに人が多かった。改札に入る人も出てくる人も、みんな足早だった。宇都宮のように誰かを待っている人もちらほらいたが、合流すると同じく足早に去った。宇都宮は通り過ぎていく人々をぼんやり眺めた。雑踏から断片的に聞こえてくる関西弁が新鮮だった。特に若い女性の方言は耳に心地よかった。他県に行っても同じことを思うだろう。スマホを取り出し、SNSで「出張で大阪」と不特定多数の人に向けて報告した。太田カツキから「いいね!」と親指を立てたマークが速攻返ってきた。

スマホを見ながらしばらく待っていると、駅からマサミ姉ちゃんが現れた。柄のついたシャツに、ダボっとして楽そうなパンツを履いていた。似たような服でも太田カツキとは印象が全然ちがう。結婚式の時は長い黒髪だったが、茶髪にして肩より短くしていた。コンタクトではなく、レンズの分厚いメガネをかけていた。

「セイヤ、スーツ着とるが」姉ちゃんは相変わらず岡山弁だった。宇都宮誠弥はマサヤなのだが、姉ちゃんはセイヤと呼ぶ。子どもの頃、マサヤとマサミで途中までどっちが呼ばれているのかまぎらわしかったので、マサミ姉ちゃんが来ている間だけ宇都宮はセイヤと呼ばれており、姉ちゃんの中ではそれが定着した。

「仕事だから、一応」
「どこで仕事?」
「ここ来る途中の本町って所」
「へえ」

聞いたくせに興味なさそうにマサミ姉ちゃんは答えた。宇都宮はマサミ姉ちゃんから目をそらした。マサミ姉ちゃんは黒目が大きく、メガネ越しでも吸い込まれそうになった。

「普段、コンタクトじゃないの?」
「なんとなく、気分じゃわ」

ぐいと湾曲した歩道橋を横目に、近鉄百貨店に入り、売り場で展望台へ登るチケットを買った。空港のチェックインカウンターのような佇まいだと思った。マサミ姉ちゃんが出してくれると言ったが、映画が観れるくらいの値段だったので、自分で払った。それから16階に上がり、展望台の入場口に来た。ここから60階まで一気に上がるのだ。エレベーターの前に「16-60」大きくゴシック体で表記されていた。ポールパーテーションがぐねぐねと複雑な動線を作っていたが、平日の夜ということもあり、そんなに人は並んでいなかった。「土日はぎょうさん並んでるで」とマサミ姉ちゃんが言った。

展望台への直通のエレベーター内は暗く、登っていく途中、きらきらした光の演出が行われた。乗り合わせたカップルの女の方が「わあ」と声をもらした。雨のような光の筋が流れ、現在の高さがデジタル表記でくるくる変わっていった。どんどん登っていく。1分足らずで60階に着いた。カップルの男の方が「はやっ」と言った。

展望台からは360度、大阪の街が見渡せた。日は沈み、ミニチュアみたいな街は煌々とライトアップされていた。大きい道路は街灯でオレンジ色に照らされ、分岐し、またつながった。血管のようだった。

宇都宮は高い所に登ると気持ちが大きくなった。小心者なので、気持ちが大きくなれる展望台が好きだった。人が豆つぶみたいに見え、「虫けらどもめ」とつぶやいた。声に出すと危ない人なので、心の中でつぶやいた。

通天閣、道頓堀、天王寺公園、動物園、六甲山など、目につくものをマサミ姉ちゃんが指差して教えてくれた。通天閣もライトアップされ、「HITACHI」の文字が白く光っていた。

何周でも回って見ていたかったが、マサミ姉ちゃんが飽きるだろうと思って一周でやめた。

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