「抑揚を持たない宇都宮誠弥と、彼のモラトリアムな年」(第5回)藤原達郎

2017.08.29

前回

9月になった。聞こえてくる鳴き声がクマゼミからツクツクボウシのそれに変わった。宇都宮の鼻は季節の変わり目になると、なぜかガソリンのような匂いをかぎとった。子どもの頃、宇都宮は鼻炎で毎週のように耳鼻科に通っており、鼻から薬を吸入していた。そのせいで匂いの受容体がおかしくなったんじゃないかと宇都宮は思っていた。本当のところはわからない。大自然の中だろうと関係なく、ふとした時にガソリンの匂いがした。

車の窓をあけ、風を顔面で受け止めている時に宇都宮はガソリンの匂いをかぎとった。めずらしく自ら運転をし、高速道路を走っていた。ただ単に前を走っている車の排気ガスを吸い込んだだけかもしれなかった。

助手席では太田カツキがダッシュボードに足を乗せ、ZIPPOのライターにオイルを注入していた。太田は原付の免許しか持っていなかった。カーステレオからは太田が持参したaikoのCDが流れていた。見た目からしてゴリゴリのヒップホップなどを好んで聴きそうだが、太田はaikoが好きだった。

今日の太田は丸いレンズのサングラスをかけ、迷彩柄のオーバーオールを着ている。その迷彩がすべて動物の形になっていた。

「そのオーバーオール、高いの?」
「高いって思うか安いって思うかなんて、人それぞれだろ?ものの価値なんて…人それぞれだろ?」太田が得意げに言った。語彙が少ないので同じフレーズを繰り返した。
「迷彩が動物になってるね」
「かわいいだろ?」
「動物、好きなの?」
「動物は好きだよ」太田が当たり前のように言った。
「どの動物が好きなの?」
「あっ」太田がオイルをオーバーオールにこぼした。シートにもこぼしたようで、オイルの匂いが鼻をついた。宇都宮が先ほどかぎとったのも、太田のオイルの匂いだったのかもしれない。シートをゴシゴシやりながら「やっぱり、ウシかな」と太田が言った。
「レンタルなんだから、汚すなよ」車はレンタカーだった。
「かわいいよな、ウシ」太田はカバンにオイルを片付けた。カバンにはウマの絵が描かれていた。

週末に祝日がからんだ三連休だった。太田カツキの先輩が筑後の大学の研究室に在籍しており、一般参加のワークショップがあるから一緒に行こうぜ!と先週誘われたのだ。

「ワークショップって、何?」宇都宮が聞いた。
「え、知らんの?」太田がバカにしたように言った。
「そりゃ、なんとなく、ニュアンスはわかるけど」
「ワークとショップだから、仕事と店だろう?」
「…だから何?」
「商売だよ、商売」

太田の理屈は意味がわからなかったが、参加費は2日間で7000円だったので、まあいい商売だった。

「なんか、やるんだよ、体操とか、コミュニケーションとか」
「コミュニケーション?」
「いや、知らないけど」
「なんか変なことやらされるの、やだよ俺」

宇都宮はワークショップというものにどうもうさんくさい先入観を持っており、今まで参加したことはなかった。にもかかわらず、太田に誘われるがままついて来たのは、休日の予定など宇都宮にはなく、暇だったからだ。

「宇都宮、パソコン使えるじゃん。なんかそういうワークショップなんだって」
「パソコンと体操でコミュニケーションとるの?」太田の説明はどうも要領を得なかった。
「見ろよ、チラシ」太田がチラシを見せてきた。太田もよく理解していなかった。運転中にチラシを見ろと言われても、宇都宮の運転には余裕がなく、飲み物を飲むことさえできないのだった。
「…プイシキャ…読めねえや」太田にはチラシに表記された英語のタイトルが読めなかった。
「いいよ、あとで見るから」
「な~つのお~わ~り~♪」太田が急に歌った。aikoじゃなくて森山直太朗だった。窓をあけっぱなしだったので、追い越し車線を走るおっさんが半笑いでこっちを見た。

なんだかよくわからないまま二人はレンタカーに乗り、筑後に7000円を支払いに向かっていた。

要は人数合わせだった。

このエントリーをはてなブックマークに追加
Pocket

ページ: 1 2 3 4 5