「抑揚を持たない宇都宮誠弥と、彼のモラトリアムな年」(第7回)藤原達郎

2017.09.13

その夜、明け方まで作業をし、シートを倒して眠った宇都宮は夢を見た。白い簡素な部屋の中で、宇都宮は身体が埋まるくらい沈み込むソファに座っていた。向かいにも同じソファが置かれ、ソファの足元からちょろちょろとハムスターが這い出した。ハムスターの身体はみるみる大きくなり、宇都宮の身長と同じくらいのサイズになった。ハムスターはソファに乗り、宇都宮と対面した。

「おい」ハムスターは日本語で話しかけてきた。「おい、エサは?」作業のことで頭がいっぱいで、ハムスターにエサをやることをすっかり忘れていた。
「ごめん」
「いや、ごめんやなくて」
「忘れてた」
「それ、飼い主としてどうなん」ハムスターを後ろ足で耳の裏をすばやく掻いた。
「…すいません」
「俺がな、自分で冷蔵庫開けて、チーズやらキャベツやら、勝手に食えるんならええよ?ええけれどもよ、そうやないやろ?」
「あぁ…うん」
「あ?どうなんかちゃ」ハムスターは北九州の方言で威圧してきた。
「…ケージに入っているので、冷蔵庫は開けられません」
「そうやろ?そうやわな」
「…すいません」
「ケージも狭いんよ。一日一時間は出たいわ」
「…はい」要求が多い、と宇都宮は思った。
「まあ、小屋ん中にさ、エサは貯めとるけ、飢えんよ。飢えんけれども…あの『ハムスター』って呼称はさ、『ほおぶくろ』っていうのが語源だから。俺ら、貯めるんよ、小屋ん中に、エサを。だけ飢えんけれども…これはまあ、満足度の問題やわな」ハムスターはうんちくを交えて愚痴った。ほおぶくろからヒマワリの種を出して宇都宮に見せ、ガリッとかじった。
「ごめん、明日には帰るから」
「何、仕事が忙しいん?」
「うん、ちょっと、やらなきゃいけない作業があって」
「あの子のことが好きなん?」
「え?」
「好きなん、あの子のことが」ハムスターはお見通しだった。
「でも、ミンソはトゥーンと付き合ってんだよ」
「関係ねえよ」関係なくはない、と宇都宮は思った。
「同じケージん中によ、オスのハムスター二匹と、メスのハムスターを一匹入れたら、オス同士はケンカしてどちらかを殺し、勝った方がメスと交尾するんだよ」
「…へえ」
「強い者がいい思いをする。弱肉強食だよ」
「大変ですね」
「他人事やねえやろ。奪い取れ」

宇都宮はこれまでの人生で、誰かから何かを奪い取ったことなどなかった。そしてハムスターの世界は過酷だと知った。人間でよかった。

「俺も交尾したいわ」
「は?」
「交尾したい、俺も」ハムスターは正面切って主張した。その顔から表情は読み取れなかった。
「『も』って…俺は別に、交尾したいなんて言ってないよ」
「したくないんか、交尾」
「…」したくない、と言えば嘘になった。「でもそれは、交尾ありきの関係っていうより、関係を築いた上での交尾が理想っていうか…」
「ロマンチストか」ハムスターに突っ込まれた。「お前、日本にロマンスの概念が入ってきたのは黒船以降で、それまで日本人の恋っていうは色恋だったんだよ。『色』ありきだぜ?俺的にも、そっちの方が生き物として正常だと思うわ」突っ込まれた上、色恋のうんちくまで披露されてしまった。
「まあ、どうするのかはお前次第だから、これ以上、何も言わんけどよ、エサ忘れるのはマジかんべんな」
「はい、すいませんでした」
「あとハムスターの発情期は、主に春と初夏と言われているよ」うんちくが止まらない。来年までにつがいを飼えと言っている。
「…はい」
「待ってるから」

そう言うとハムスターはのっそりとソファから降り、だんだん小さくなってまたソファの下へ潜り込んだ。

…俺はどうしたいのだろう。トゥーンから奪い取ってまで、ミンソといい仲になりたいのか。…ちがうんじゃないか。彼女は日本に住んでいないし、ワークショップが終われば帰って行く。あとくされのない都合のいい関係を結びたいだけなんじゃないか。だからと言ってそのために積極的に動くようなこともたぶんしない。なるようにしかならない。いつも通りだ。通常運転。まあ、俺の運転は危なっかしいけれども。…あぁ、明日また、小倉まで運転して帰んなきゃな。ハムスターが待ってるし…ーー宇都宮はいつだって何かをいいわけにし、めんどうを避け、流れに身を任せるのだった。自分に都合のいい未来がやって来るのを待っていた。が、そんなものが訪れるはずもなく、たいして都合のよくない結果を「まあ、こんなものか」と受け入れ、不満はあるけれど傷つくことのない、起伏の少ない人生を歩んでいた。いつからか、そういう道を選ぶようになった。もうそのようにしか身体が動かない。ワークショップも楽しいが、まあまあだった。宇都宮はまあまあだった。

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