「抑揚を持たない宇都宮誠弥と、彼のモラトリアムな年」(最終回)藤原達郎

2017.09.27

宇都宮が汗だくで目覚めるとすっぱい匂いが鼻をついた。太田が寝ゲロを吐いていた。スマホの時計を見るともう昼前で、不在着信が3件入っていた。全部レンタカーの会社からだった。昨日連絡を入れ忘れていた。すぐに折り返し「夕方までには返却します」と言った。ゲロで汚れているのは言いづらくて黙っておいた。どうせ返す時にバレるが、先延ばしにした。

一昨日から同じ服を着ているので、自分で自分が臭かった。また丸い女にシャワーを使わせてもらおうと思ってホールに向かうと鍵がかかっていた。今日は開いていないようだ。今のお前にはべとべとで汗臭いのがお似合いだと丸い女に言われている気がした。おとなしく車に戻り、ゲロに呆然とし、エンジンをかけ、ナビに帰り道を入力した。今aikoはちがうと思ってステレオは切った。太田はまだゲロにまみれて寝ていた。

高速道路を走りながら、宇都宮は昨日の夢のことを考えた。ミンソの手の感触をかなり鮮明に覚えていた。それはたぶん昨夜校庭でした握手の感触だった。観光バスに追い抜かれた。窓をあけ、風を顔面に受けた。ガソリンの匂いなどはせず、ゲロの匂いだけがした。でかい積み荷を緑のほろで覆ったトラックに追い抜かれた。宇都宮が最低法定速度で走っているからだ。何を積んでいるのかは見えなかった。青い空を斜めに飛行機雲が横切っていた。

筑後川にかかる橋を渡った。白い柱がトラスのように組まれており、幾何学模様を描いていた。「…う~ん」と太田がうめいた。それからまた静かになったので起きてはいないようだ。今はまだ寝ていてほしい。aikoを流した。

久留米を過ぎた辺りでふと思い立ち、ミンソ達の乗って帰る船を見送りに行こうと思った。何時の便に乗るのか把握していなかったが、それでも行きたかった。サービスエリアに入り、スマホで場所をチェックし、ナビを入力し直した。

太宰府で九州道から福岡都市高速に乗った。宇都宮はETCカードなど当然持っておらず、料金所は有人ゲートをくぐるのだが、太田が寝ているため小銭の用意で相当もたつき、後ろからクラクションを鳴らされた。大野城を通り過ぎて博多に入ると街並みが急に都会っぽくなった。道路の分岐が複雑すぎて、ナビされてても間違いそうだった。

博多港にある高速船の発着ターミナルに着いた。太田を残して車を出た。潮の匂いがした。ターミナルの中を覗いたが、学生達の姿は見当たらなかった。もう帰ったのかもしれないし、まだ着いていないのかもしれない。港はフェンスで囲まれ、侵入されないように警備員が見張っていた。フーにメールしてみようかと思ったが、昨日の今日で気持ち悪いかもしれないと思い直してやめた。フェンス越しに船を見た。夢のことをまた反芻した。警備員がこっちを見ていた。

昨日の発表会のことを思い出しながらフェンス沿いに埠頭を歩いていると、でかい倉庫や大量のコンテナが並ぶ通りに出た。フェンスもなくなり、業者のトラックしか見かけなくなった。入る道を完全に間違えた。荷を積んだ船が出たり入ったりした。船乗りが足を乗せる台があった。乗せてみた。ミンソの前でカッコつけて見せたらどういう顔をするだろうかと想像した。ビーっと笛の音がしたので見ると、船に赤と白の手旗で合図を送っている男がいた。男が機敏な動きで合図を送ると、船から汽笛が返ってきた。何かが伝わったようだ。そして男は合図を送り終えると、走って宇都宮に近づいてきた。笑顔だった。

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