「抑揚を持たない宇都宮誠弥と、彼のモラトリアムな年」(最終回)藤原達郎

2017.09.27

停泊している船からボーと汽笛が上がった。男は船に手を振るように旗を振った。

「なんですか、それ?」
「返礼。あいさつしてんの」
「へえ」
「あの船の船長、俺の同僚なんだぜ」
「あ、そうなんですね」興味がなかった。
「俺もなりたかったな、船長」
「なれなかったんですか?」
「船酔いがひどいの」
「そうなんですね」

駐車場らしきスペースに赤のカラーコーンが二つ置かれ、一つは倒れていた。釣りをしている人が何かを釣り上げた。遠くてよく見えなかった。

「…俺も振ってみていいですか、旗」
「振りたいの?」
「はい」
「ちょっとだけだよ」手旗の男は宇都宮に旗を渡した。「右が赤で、左が白ね」

宇都宮は言われた通りに旗を持った。「ススメって、どうでしたっけ?」

「こう」男が腕を横に広げ、上下に広げ、顔の前でクロスし、腕を下ろした。それをもう一度し、今度は腕を斜めに広げ、顔の前でクロスし、下ろした。「ス・ス・メだね」

宇都宮は海に向かって、ススメと旗を振った。

「そんなふにゃふにゃ振っても伝わらないよ。ス・ス・メーっ!くらいのつもりで振らないと」

宇都宮は言われたように、力いっぱい旗を振った。ススメーっ!と振ったつもりだが、身体がついてこない。運動不足だった。

「ス・ス・メーっ!だよ。言いながらやってみ」
「…ス・ス・メー」宇都宮は言いながら旗を振った。
「もっと腹に力を入れて!」
「ス・ス・メーっ!」
「もっと!」
「ス・ス・メーっ!!」
「そうそんな感じ!」
「ス・ス・メーー!!!」
「いい、いい」
「ス・ス・メーー!!!!」
「そう、それでばっちり」
「ス・ス・メーーーー!!!!!」
「うん、いい、いい」
「ス・ス・メーーーーー!!!!!!」
「いい、もういい」
「ス・ス・メーーーーーー!!!!!!!」
「君、もういい」
「ス・ス・メーーーーーーー!!!!!!!!」
「もういい、もうやめて」
「ススメーーーーーーー!!!!!!!!」宇都宮は旗もそこそこに絶叫した。
「もうやめなさい!」
「ズズベーーーーーーー!!!!!!!!ズエーーーーーーー!!!!!!!!」
「やめろこの野郎!」

船からボーと汽笛が返ってきた。宇都宮の手旗が伝わった。宇都宮は言葉にならない叫びを上げて大きく旗を振り、返礼した。

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