やよひ住宅(第1回)

2021.02.16

 「日の丸荘」という古風な名前のアパートに住み着いて七年経つ。家を借りて七年。働いて飯食って毎日毎日生きていたら七年。ときどき怖くなるのはたぶん自分だけじゃないだろう。
 半年前に大家の爺さんが亡くなって娘夫婦が新しい大家になったんだが、娘婿がナントカ会という宗教めいた慈善団体の幹部をしているとかで、先月から外壁がけばけばしいことこの上ない色になった。団体のカラーらしい。昨日の朝、娘婿は竹ぼうきでアパートまわりを掃除していた。おはようごさいますと声をかけたら小さな目をしばたたきながら竹ぼうきを引き摺って早足で近づいてきた。「おはようございますどうですか新しい外壁ね全宇宙のね良い気がね日の丸荘にね集まってね来てますよ感じません?アッメィーズィングなパウァーを!」もとの色は地味だった。だいぶくすんでいたし剥がれてもいたが、個人的には今の色よりマシだった。家賃もそのままで暮らすのに不便はない。だが、外から目にするたびにちょっとやりきれない気分になる。慣れたとしても、好きにはなれない。
 自分は父親と離れて暮らしていた。父はなにかの病気だったらしい。ある時期から亡くなるまでここの近所、通りの向かいに建っていたやよひ住宅という名の集合住宅にひとりで住んでいた。年季の入った一戸建ての住宅が九つ建っていて、昔はひとがたくさん住んでいたらしいが、自分が覚えているのは、たくさんのひとたちが去っていったあとの斜陽の数年間だ。父の家、そして銭湯で働く女と猫が暮らす隣の家。ひとが入っているのはその二軒だけだった。
 学校が長期休暇に入ると、自分は父の家へよく遊びにいった。父のところへ行く日の朝、家の玄関には乾麺が入ったナップザックが必ず準備してあった。夏はそうめん、冬はうどんやそば。そのせいか、父との食事を思い返しても麺料理しか出てこない。
 父は自宅からだいぶ離れた最寄駅まで自分を迎えにくるとき、いつも白のフォルクスワーゲン・ビートルを運転してきた。友達の車だと言っていたが、自分が父のところにいるあいだ中、集合住宅の桜の木の下にとめてあった。ボディがところどころ錆びた見るからにボロい車だった。無人駅の改札を出ると、ベンチに腰掛ける間もなくドッドッドというエンジン音が聞こえてタイヤが砂利を踏みながら近づいてくるのだ。エンジンが止まると、父はひょろ長い身体を折り曲げるようにして車から降り、曇りの日も雨の日も眩しそうに目を細めて「よう。」と言った。それから自分の荷物を持ってくれた。麺の入ったナップザックも。
 父が具体的に何の仕事をしていたのか、はっきりしたことはわからない。教えてもらったこともないし、子ども心に聞かない方が良いような気もしていた。本当に病気だったのかもわからない。趣味の絵を描きながら、たぶん日雇いの仕事を転々としていた。
 やよひ住宅には風呂がなかった。歩いて五分ほどの場所に「忠之湯(ただのゆ)」という銭湯があり、自分は父から小銭をもらってひとりで入りに行った。
「父ちゃんは風呂に入らないの?入らないとくさくなるよ。」
「あとで入るよ。ご飯作っとくから先に行っておいで。」
 二人で行こうと言い張っても、父は眉を八の字にして自分を見つめたまま微笑むばかりで、決して一緒には行ってくれなかった。
 忠之湯へ行くと隣の家の女が番台に座っていて、帰り際にいつもキャラメルをくれた。

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